【1】(仮)平均的な僕と平均以下の君たち あらすじ~ 第1章 子供のころ~転職

あらすじ

世間に溶け込めないひきこもりを更正させるために作られたバーチャル世界。

何でもある程度こなすけど、圧倒的な魅力もない僕。

平均的な生活を送る僕がひきこもりたちと関わって、本当の自分を知り葛藤を繰り返す。

「君の方がよっぽど魅力的だ」

第1章 プロローグ

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子供のころ

小学生の頃、地元のサッカークラブに入ってサッカーをしていた。小学校2年生の時から友達に誘われるままに始めたから、周りよりは少し早かったと思う。4年生くらいになると同級生がたくさん増えて、試合なんかにもよく出ていた。

当然人数が増えればレギュラー争いも生まれてくる。サッカーは11人で戦う。増えたり減ったりしていたからはっきりと記憶がないのだが、同級生のメンバーは12人いたと思う。

だからレギュラー争いでは1人溢れる。誰かがベンチになるわけだ。

僕も時々ベンチにいた。

技術的に下手だということはなかったと思う。どちらかと言うと古株だし経験は長い。でも、時々ベンチスタートだった。これもはっきりと覚えてないのだが、地域での選抜練習をするという機会があった。古株のほとんどのメンバーが呼ばれる中、僕は呼ばれなかった記憶がある。地域での交流を深めるというような目的のものだったし、大きな意味のあるものではない。

しかし、やはり少し悔しかった。でもそれをなんとかしようと努力したかと言えばあまり記憶がない。皆と同じ時間だけ練習をしていた。それが普通だと思っていたのかもしれない。自主練習をすることはあまりなかったし、たくさんサッカーを観たり何かで勉強するということもなかった。サッカーの漫画やゲームですらほとんど触れていなかった。

せめて漫画くらい見ていればスポ根魂の一欠片くらい拾っていたかもしれないのに。

普通の練習だけでもある程度はできたし、小学生からスポーツをやっていると体育の授業はもちろん好きだった。朝からドッジボールをやるために早起きして学校に行くこともあった。運動会なら選抜リレーも出られたし、マラソン大会も一桁の順位くらいには入れた。縄跳び大会みたいなのでは皆の前でやらされたこともあった。

だからサッカーに固執する理由はなくそこに圧倒的に情熱を注ぐ意識にはならなかったのだと思う。

僕はすべてそうだったのかもしれない。

スポーツに限らず勉強も同じだった。小学校の頃なら100点もたくさん取れた。通知表も◎がたくさんあった。図工や音楽もそうだ。ある程度なんでもこなせたし、それを楽しむことができた。小学校のころに苦手意識があったものはあまりなかったかもしれない。しかし、だからと言って成績がトップというわけでもない。もっとできる奴はたくさんいる。1位になるということはなかった。トップに憧れることはあっても、それより何かで最下位になるほうが怖かった。

これが僕の根源だ。

子供と大人の間

もう少し僕の話をしよう。

小学生のときはとても楽しく過ごせたから別によかった。あえてランクを付けるなら”中の上”と言ったところだろうか。それは中学生になってからもあまり変わらなかった。特に部活ではまたサッカー部に入り、経験者ということもあり1年の頃から試合にも出られた。小学生の時より明確に周りよりできる自信もあった。3年生と言っても2年間しか経験していない人が多いから5年やっている僕ができるのは当然なのだけれども。

しかし、少し歯車が狂いだしたのは勉強の方だったかもしれない。特に英語は苦手だった。それは今も同じだが、何故かあまり文法とか理解ができない。5科目の成績で言えば圧倒的に悪く、英語さえもう少しできたらもうひとつ上の高校に行けたと思う。

ここから更に歯車が狂う。

僕が受かった高校は取り立てて良いとも言われないし悪いとも言われないような平均的なレベルの公立の高校だ。そのわりに僕と同じ中学のやつがほとんどいなかった。一緒に受けた友達は結構いたのにまさかの全員落ちるという結末で、仲良く同じ滑り止めの私立に行ってしまった。

僕は知り合いも居ない中で新しい門出を迎えた。まぁ何とかなるだろうと思っていた。またサッカーもしようと思っていた。友達くらいできる。

結果的にほとんどできなかった。

この辺から自分の性格を理解し始める。あまり自分から動くことはなく、周りが接してくれないとコミュニケーションをあまり取りにいかない。流れに身を任せ、程よく何でもこなすから亀裂を生むこともないし、慕われることもあった。中学校は様々な人員で構築されていたから、勉強ができるやつもいればスポーツが得意なやつもいる。そして、その逆もいるわけでその中で僕はまた”中の上”をキープしていたから自然と人も寄ってきた。

しかし、高校になると学力レベルは入試で判断されているわけで、皆同じくらいか無難に合格してきた上のやつしかいない。スポーツでもサッカーのようなメジャーな部活になるほど部員も多く中学からの経験者も多い。強豪になれば小学生の頃からやっているやつなどざらに居る。未経験者の方が少ないのだ。

中学の時とはまるで環境が違った。自分がこの集団の中で秀でていることがなかった。”中の中”にも入っているかもわからなかった。だからと言って仲間ができないことはない。しかし、頑張り方もよくわかっていなかった僕は勉強もイマイチ、部活もイマイチのまま過ぎ去り、青い春など感じることもなく高校生活が早く終わって欲しいとしか考えていなかった。

環境を改善しようとは考えていなかった。その環境から抜け出すことしか考えていなかった。

勝手に堪え忍んでいた高校生活を終え、次に進んだ進路は東京にある偏差値50くらいの大学だった。別に好んで上京をしたかったわけでもない。ただいくつか受けて受かった中で一番良さそうな大学が東京にあっただけだ。

そもそも受験期間は勉強しているようで、小説を読みだしたりしてまともな勉強はしていなかった。お陰さまで現代文だけは得意だった。

私大なら2、3教科の受験で済む。今のままの自分の実力で受かる大学がその辺くらいだったのだ。正直もう少し上の方がよかったし、私立大学で上京するとなればお金もかかる。その点は両親に申し訳なく思ったが、結果的に大学生活はとても充実しており楽しかった。

高校の時のようなミスはしない。自分から友達を作るように努めたし、地方出身者が多いから回りもそうだった。だから少し積極的になれば大学で孤立するなんてことはあまりないと思う。

何よりレベルのバランスがちょうどよかった。

就職活動

楽しい大学生活のあとは大半のやつが就職する。Fラン大学卒業の僕にとって就職活動はスタートラインから違う。

大手は学歴で足切りをくらい、中堅は高学歴たちの滑り止めになり、Fランの僕たちは苦しい戦いを強いられる。稀に大手に就職するような強者がいるが、そういうやつは人としての出来が違う。特に頭が良いとかではなく、圧倒的にコミュニケーション能力が高いやつはその部類だ。もちろん僕は含まれない。

就職活動においてやはり序盤は”お祈り”が多かった。あ、不採用ってことね。しかし、何度か数をこなすとそれほど緊張もなく対応できるようになったし、面接も通過できることが多くなった。この辺は僕の適応力の高さを自負した瞬間だ。

しかし、最終選考までいくのに受からない。就職氷河期という不運な世代ではあるが、なぜ最終まできて落ちるのか。この時はあまり理解していなかった。

結局なんとか就職できたのは、町の弁当屋だった。というかちゃんと就活をして入ったわけではない。普段から単純によく行っていた近くの弁当屋が3号店を出すという話があり求人を出していた。そもそも2号店があったことも知らなかったけれど、よく行っていた1号店だったらしい弁当屋のおばちゃんとは少し関わりがあった。

1年ほど前に午前だけの講義を終えて帰宅ついでに弁当を買いに行った。その時に昼間から酔っぱらいのじじいがおばちゃんに絡んでいた。

「この弁当は米が固くなっているから貰ってやる!」だとか何だとかいいながら弁当を奪おうとするじじいにおばちゃんも怯むことなくキレる。強いおばちゃんだ。

しかし、昼時。弁当屋にとってはピーク時間だ。地元では人気のお弁当屋だけにじじいが絡んでいるうちにお客さんが続々現れる。

“さて、どうしたものか。”

僕も早く昼飯を手に入れて帰りたい。普段ならトラブルに自ら関わろうとは思わないが、背に腹は代えられないのだ。僕は唐揚げ弁当を食べると決めているのだ。変なところに頑固な部分がある。

「よし…。」気合を入れる。

「お久しぶりですー!元気でしたかー!?ここの弁当うまいですよねー!よく来るんですか?僕もよく来るんですよ!海苔弁買うんですか!お目が高い!さすが!…」

畳み掛けるように話しかける僕。何がお目が高いかもわからないが圧倒させれば勝ちだ。「誰だお前!」ってなったら「またまた~」と言いながらごまかす。それでも無理なら警察呼ぼう、うんうん。一応スマホを構えおいた。しかし、それも杞憂に終わる。

「お、おう!?そうなんだよ!?これもらってくな!お前も食え!またな!?」

ボン!と、くしゃくしゃの千円札をおいて海苔弁を持って出ていった酔っぱらいじじい。所々にはてなマークが出ていた感じは否めなかったが、呆気なかった。しかも弁当を奢っていただいた。しかし、僕が欲しいのは唐揚げ弁当550円だ。千円では500円の海苔弁と唐揚げ弁当の2つは買えない。

「50円足りないな。。」

酔っぱらいじじいを追っ払ったことより、50円足りないことに意識が意識を取られていた僕をおばちゃんの声が呼び覚ます。

「あんた、やるわね~!若いのに!素晴らしい!…」

と僕を誉めちぎり、周りのお客さんからも拍手が起きていた。

我に返って「あっ…」と呆気に取られていると

「まさか本当に知り合いじゃないでしょうねぇ??」

とおばちゃんから勘繰りが入ったので断じて違うと否定する。一件は落着して何故か500円を片手に、3つの弁当とお茶が1本入った袋をぶら下げて帰路についた僕。

おばちゃんがくれたのだ。酔っぱらいじじいのお釣りの500円は半ば強引に握らされ、適当な弁当を袋に詰め最後に紙パックのお茶を投げ入れ感謝と共に渡してきた。唐揚げ弁当も入っていた。気前のいいおばちゃんだ。

「夜飯も出来たなー」

ちなみに僕は1人暮らしだ。慣れないことをしたけれど、気分は悪くなかった。むしろ一人暮らしの学生にとってはありがたい報酬まで頂けた。

そんな縁もあり週1、2回は通うようになった弁当屋で、おばちゃんがいると世間話もするようになり、というか気に入られたのか一方的に話しかけられていたわけだが、ある日就活帰りに寄ったときだった。

「今回もダメかもな。。」

すでに就活への活力は乏しく、今回のところを落ちたら、実家に帰ろうかとか考えていた。また一からエントリーして就活する気力がでなかった。

とりあえず腹は空くからスーツ姿で弁当屋に寄る。夕方前という時間なのであまり弁当は残っていなかった。そしておばちゃんに話しかけられる。

「ごめんねーもうすぐ出来てくるからよかったら待ってて!」

と言いながらまじまじと僕の姿を見るおばちゃん。

「珍しい恰好しているわね!学生さんだったよね??就職活動??」

と早口で畳み掛けられる。いつものことだ。

「(早く作ってくれないかな…)そうなんです。中々決まらなくて。」

もう6月になろうとしていた大学四年生。そろそろ決まらないと厳しい時期だった。

「はい、これ!揚げたて!」

まだ注文もしていないのに、袋に入った唐揚げ弁当にカップ味噌汁まで入っている。困惑しているとおばちゃんはいつになく陽気な声で話しかけてくる

「待たせたからサービス!」

困惑しているとおばちゃんはいつになく陽気な声で話しかけてくる。

「あぁ…」味噌汁がサービスってことか。幕の内にしようかと思っていたけど唐揚げ弁当でいいかとか、色々考えながら唐揚げ弁当代550円を出そうとしたら

「サービスっていってるでしょ!」

とおばちゃんがいつになく大袈裟にも見える笑顔で弁当を渡してくる。サービスにも限度があるだろと思いながらも負け続けの就活生にとって一食浮くのはありがたい。

「あ、ありがとうございます。」

遠慮した体で受け取りつつラッキーという思いを隠しているのを見抜いたかのようにおばちゃんが続けた。

…そして僕は弁当屋になった。

社会人

「店長ー来週のシフトまだですか?」

「ごめん、今調整中だから明日には出すよ」

弁当屋に努めて3年。少し後悔をしていた。就職活動がうまくいかず、流れと甘えから弁当屋に就職したが、まさかこんなに忙しい日々になるとは思わなかった。わざわざ東京で弁当屋で働く理由があるのかもわからなかった。

ただ地元の小さな弁当屋だと思っていたので給料に期待などはしていなかったが、のんびり働けるかと期待はしていた。しかし目測は甘かった。よく考えれば3号店まで出そうというアグレッシブな弁当屋だったわけで、のんびり働こうなんて考えのある経営者ではなかったのだ。

就職して3年で、まさかの5店舗まで増えた弁当屋はさらに拡大しようと目論んでいたのだ。ちなみに元々1号店にいたおばあちゃんの旦那さんが社長且つ2号店の店長である。つまり夫婦経営で弁当屋を拡大させていた。そして僕が就職したとき3号店をオープンさせるために社員を増やしていたというわけだ。

一応就職したときにはもう一人社員がいたのだが、僕が就職して1年も経たずに辞めてしまった。その人も元々アルバイトの人で主に僕に仕事を教えてくれた人でもある。いい人だったのだが、自分で業務をこなすのと社員として店を動かすのでは勝手が違う。スポーツでいう名プレーヤーが名監督になれるとは限らないという話と一緒だ。

小さな弁当屋といえど、朝から夜まで営業するには自分以外のアルバイトも使っていかないといけない。基本的に休みの日もないので、自分が休むためにも店を任せる人も育てていかないといけない。自分がやるのとそれを教えるのでは全く別の能力が必要なのは言うまでもない。

結局その社員は無理をして体調を崩して辞めてしまった。そして今、同じことが僕の身にも及ぼうとしている。社員が辞めたころには僕は3号店の店長になっており、その1店舗だけなら何とか回して行くことができた。小さな弁当屋といえ自分が一国の長になることがあるなんてその時までは考えたことがなかった。

昔から大半のことはある程度はこなせた僕は、全体を把握しつつリスクになりそうなことは事前につぶしておくことができた。意外と向いていたのかもしれない。しかし、経営には守りだけでなく攻める時もないと売り上げは上げていけない。特にうちの社長夫婦は攻めが大好きなので、攻めのない姿勢を否定してくることも多くあった。

言っていることはわかるが、店舗が増えるにつれて徐々に限界が訪れる。もちろん社員も少しずつ増えていたが、辞める人も多かった。実際中に入り込むと忙しすぎるのだ。そもそも町の弁当屋にそんな有能な人が入ってくることはないし、経験を積んだアルバイトやパートから社員にしてもそれは同様なのだ。そもそも社員になったからと言って監督だけをしていればいいということもなく、プレーヤーであり続ける、つまり自分も店舗に立ち通常業務をしつつ管理業務もしなければいけないのでやることは膨大なのだ。

うちの社長は元々畑違いの業種から脱サラしたタイプだ。奥さんが調理士の免許があり少し料理が得意だったことから、最初は飲食店を経営していたが失敗したそうだ。そこから小規模でもできる弁当屋を始めたら意外とうまくいったから調子に乗って店舗を拡大していったというわけだ。2店舗目までうまくいってしまったから、銀行からの融資も通りやすくなり店舗拡大が加速したが、僕から言わせれば2店舗目でやめておくべきだった。

3店舗目は立地はとても良かった。駅にも近くオフィスも多くて昼間を中心に売り上げは1、2号店を凌ぐほどだった。しかし、当然そんな立地は家賃も高いし、忙しいから人も多く雇うために経費も掛かる。それでも利益出ているから、さらに店舗を拡大していったが、好立地店舗にはライバルもできやすい。3号店がオープンして1年もしない間に、チェーン店の弁当屋ができ、さらに店舗の真横には手ごろな定食屋までできてしまった。

3号店の売り上げは激減し下手すると赤字になるほどだったが、そのころには4号店もできていたのだ。トータルでは何とか利益を出していたが、問題はそこではなく店舗を管理する人間が育っていないことだった。最初はたまたまうまくいったが、うち2トップは経営に関しては正直素人だ。1店舗2店舗くらいの自分たちの目の届く範囲であれば、その場しのぎでも対応できるかもしれないが、4店舗にまで増えてしまうときちんとルールを作りマネジメントしていかないとお店は成り立っていかない。釣銭一つ用意し忘れればお客様に迷惑がかかるのだから、各店舗にきちんと管理できる人は必須なのである。

と、偉そうに語っている僕も何とかこなしている状態だった。持ち前の容量の良さのおかげで自分の担当店舗は何とかしていたものの、店舗が増えて人材が育っていないから他の店舗のフォローにも入らないといけない。更には社長たちは頻繁に店を離れてどこかに行ってしまうから、何かあるとすべて僕の元に回ってくる。2年目にして社員の中では一番古い人間になっていたので、実際は自分のことでいっぱいいっぱいだったのだけれど、比較的こなしているように見えていたためかどんどん仕事が増えていた。

あとは、何とか頑張ってくれている後輩を放置できなかったこともあるのかもしれない。意外と自分は優しいのだと思った時でもあった。

だからと言って給料が増えていたわけでもないのだけれど。

転職

店舗が増え続け、自分の業務は増え続け、給料は上がらない。しかし、会社はまだまだ店舗を拡大させて、人は育たない。

そんな最悪の経営を続けようとする会社についに限界が来た瞬間があった。

時代はAI(人工知能)などの科学技術が多く使われはじめ、今まで人間が行っていた仕事もロボットが変わって行うようにもなってきた。鉄腕アトムやドラえもんができる日も本当に来るのではないかと思うこの頃だ。

そんな時代に気合だけで乗り切ろうとする弁当屋が生き残っていけるとは思えない。そもそも地元でこの弁当屋が人気が出たのも「昔ながらの」という雰囲気が「たまたま」あったからだ。味や価格だけなら大手チェーン店で十分なのだ。

そのことを理解できず、自分たちのやり方は正しいと思い込み経営拡大を行う会社が、都心のど真ん中に店舗を出すと言い出したのだ。今の4店舗はまだ店舗同士が近いから何とか何とかフォローしながらやれたけれども、場所が遠くなれば小回りが利かない。しかも、家賃は高く競合も多い。何より誰が運営するのか。4店舗だけでもぎりぎりに回しているというのに、店舗増やす前に人を育てろというのが本音だ。

当然反対した。しかし、社長は折れない。打開策として日中だけ車での移動販売をやって試してみるのはどうかなど提案までしてみたのに、よくよく聞けばテナントをすでに仮押さえまで進めているという。もう無理だと悟った。

そして僕は3年勤めた弁当屋を辞めた。

辞めるのも一筋縄ではいかなかったが辞める権利は誰にでもあるのだ。しかし一人暮らしの僕は当然早く次の仕事を決めないといけない。条件は「ちゃんと休めること」。3年間ほとんどプライベートもなく働いてきただけに何より休みが欲しかった。とりあえずゆっくり働きたいというのが願いだった。

新卒の就職活動のことを考えると決まるか不安だったが、3年足らずでそれなりの経験もあり高い待遇を希望したわけでもなかったので、びっくりするほどすぐに決まった。未経験の営業職ではあったが、ルート営業な上に複数人で顧客に対応するので一人の負担も少なく安心感がある。その分確かに給料は高くはなかったが、安定しており休日も多かったので今までの僕の環境から考えれば天国のような職場だった。

まだ勤めて半年ほどだったが、今までの仕事中心の生活から、自分の好きなことをやる時間がどんどん増えていった。昔から体を動かすことは好きだったので特にハマったのは登山だ。体を動かしながら自然の中で過ごすというのは最高の癒しだった。

転職して僕の生活は大きく変化していった。そして”君”に出会う。